アニメーターに不躾ながら色々聞いてきた。

  知り合いのアニメーターさんに話を聞いてきました。
  メモから思い出しつつ書いています。
  なお、記事に関しての責任は編集した私にあります。


 (2009/12/06)追記
  見出しの文字を変え、
  不正確な記述の部分を削除しました。
  細かな表現を改めました。


――アニメ業界全体に関して


業界自体にまず問題はあったと思う。
今、アニメ業界自体がこれまでのツケを払い続けている。


エヴァンゲリオンに始まるアニメバブルがあったが、
テレビ局は、アニメが儲けられないことに気付いている。
どうして多くのアニメが深夜にやるか。
過激な表現がダメだからということじゃない、単に視聴率がとれないからだ。


広告代理店の制作費中抜きもあるが、
それより、業界自体のネガティブな姿勢が作品に跳ね返ってきている。
作品にまとわりつくネガティブな姿勢が視聴者に伝わってしまうほど、
業界自体が疲弊してしまっている。


特に1995年のエヴァンゲリオンで導入された
(→エヴァンゲリオンで本格的に導入され、その後慣習的になった)
製作委員会制が結果的に制作スタジオの地位を下げ、また作品を工業製品化している。



――アニメ制作スタジオの実態について


最大手と見られているようなスタジオでさえ、人材不足、経営的行き詰まりを抱えている。
サンライズを例外として、
経営的な視点を持ちながら制作を行えているスタジオは非常に少ない。


制作スタジオの概要を述べよう。
元請け、つまりサンライズやシャフト、京都アニメーション
といった、テレビ局の持つ枠に対して制作を行うようなスタジオがあり、
その下にDRMOVIEのように、
これは韓国のスタジオでサンライズと非常に緊密な関係にあるのだけど、
依頼を受けて制作を手伝ったり、
もしくは一話分をまるごと制作を請け負う(グロス請け)ようなスタジオ、
つまり下請けスタジオがある。


元請け下請け、これらを合わせても全体には程遠い。
これらから依頼を受けて制作の部分的な作業を請け負う、
つまり孫請け、ひ孫請けのスタジオが大部分を占めている。


大抵のスタジオが非常な小規模だ、これは覚えておいてほしい。
社長が営業をしているようなところもかなり多い。


営業の下に制作がいる。
制作は、スタジオ子飼いのアニメーター(原画、動画)に鞭を当て、
またフリーで働く原画アニメーターの家に行って描かれた原画を集めてくる。
スタジオによってはデジタル、つまり線画をデジタル変換して、さらに着彩を行う。
小規模なスタジオだと、このデジタル作業による収入が、
実際の描画作業による収入を超えているところもある。


元請けは、制作が間に合わないとき、原画を「撒く」(まく)。
全国、あるいは海外の半島なんかに、原画を送り、
原画、つまり絵が動くときのキーになる絵のことだが、
それを滑らかに動かすためのコマ、これを動画というが、
これを回収する。
最近、テロップの「動画」の下にたくさんスタジオが出るとしたら、
それだけ多くのスタジオに「撒いた」ということであり、
制作のスケジュールが厳しかったということの現れだ。


アニメが放映に間に合わなかったという話は滅多に聞かないが、
制作がなりふり構っていられないため、その分が作品の質に跳ね返ってくる。
結果として、キャベツやヤシガニになっていく。
(どちらも有名な作画の乱れが起こったアニメの隠語)


声優さんは、完成したフィルムに声をあてているわけじゃない。
大抵が、原画をスキャンしただけの線画を動かしただけのフィルムや、
絵コンテをそのカットの時間分写したフィルムに対して、
声をあててる。これはかなりの職人仕事だ。



――オリジナルアニメについて。


ジブリはオリジナルがつくれる。これはどういうことか。
ジブリにはバックに日テレがあって、
そこと交渉できる徳間書店の鈴木プロデューサーがいる。
こういう人材がアニメ業界にはいない。
ジブリの成功について、鈴木の果たしてきた役割は軽視されるべきものではない。
彼のように、テレビ出版広告代理店といった海千山千の人間と
交渉していけるような人間がアニメ業界には必要になるだろう。
アニメ業界ってのが焼け野原になる前に、だ。


たとえば最後のテロップに出てくるプロデューサーという役職。
これはスポンサー企業から出向してきた人間。
製作委員会制というのは何か。
テレビ局がアニメ枠をつくったとしよう。
テレビ局から依頼された広告代理店が、諸企業から金を集めてくる。
このスポンサーの集団、いわば一種の合議体を制作委員会と呼んでいる。
ハルヒだったら一番最後に出てくる、
SOS団」と表記されているところがそうだ。


電通っていうのは、CM枠へ確実にスポンサーを集めてくることに
その価値の大半があった。
公共広告機構、あれはスポンサーが入らなかった枠。
あれを出してしまうってことは広告代理店にとって一番の恥とされている。


GONZO上場廃止まで追い込まれた元請けだけど、
オリジナルをつくり続けたところは評価したい。




――業界内の人材について


一年中、アニメスタジオは人材を求めている。
人材は流動的だ。どういうことか。


アニメーターは絵を描くタイプの人間だから人間関係が原因になって、
もしくはつらい作業や薄給が原因で、いろいろな人がやめてく。
精神的な理由も多い。


動画、原画は出来高制だ。
動画は一枚あたり大体300円。
口パクの一枚が300円だし、同じようにモブ(群衆)シーンも300円。
保険はない。動画マン・原画マンは、契約社員として働いている。
新入社員の動画マンが、どれだけ稼げるか、試しに計算してみるといい。
難しい仕事で、半日に一カット描けないこともある、
一日2000円を稼げない。



――アニメーターの作業内容については


動画の描画作業には二種類ある。個人作業と集団作業。
個人作業はある意味楽だ。制作がレベルにあわせて動画に作業を割り振り、
動画マンはノルマが終われば終わり。


集団作業は何をするか。制作スケジュールがタイトになり、
元請け下請けから原画が回ってくる。
制作が言う。「この山を片づけてくれ」。
チーム、たいていはその会社の全員なんだけど、
総出でひとつずつ原画袋(原画が入っている)を取ってきて、
山が崩れるまで不眠不休で絵を描き続ける。
つらい作業になる。大抵依頼は急なので、
能動的なスケジュール管理は一介のスタジオには不可能だ。


つまり、雇用の形態として動画マンは流動的になる。
それを把握しているから、会社は動画マンを入れ替え可能な人材として扱うし、
実際そうだ。入社時でも、「どうせ辞めていくんだろ」という風に
志望者を扱っている。さっき言った、業界のネガティブな雰囲気というのは
たとえばここから立ち上ってくるものだ。
またこれは、元請けが孫請けを入れ替え可能な会社として扱うのと似ている。


ジブリの映画をコマ送りして観てみると、
原画はもちろん腕が良いが、その間に挟まれる動画は、そうたいしたものではない。
多かれ少なかれ、動画スタジオの状況は似通ったものだ。


脱線するが、逆に元請けが盤石というわけではない。
たとえば元請けのシャフトは、放映日当日まで作業している。




――原画マン


即戦力の原画マンは制作会社が喉から手が出るほど欲しがっている。
しかし動画マンが流動的であるため、原画マンは少なくなる一方だ。
制作会社から老いた原画マンが一人いなくなるだけで、
会社自体が機能しなくなるような事態もある。


じゃあ若い原画マンは何をするか。
大抵がフリーになってしまう。会社は安定して仕事を提供してくれるとはいっても、
デスマーチに巻き込まれれば体がもたない。
自らの価値を高め、また資本としての自分を維持するために、
会社に残るメリットは非常に少なくなる。


フリーになれば自分で仕事の量をコントロールできる上、
仕事の内容もある程度選べるようになる。仲の良い制作をマネージャーのように仲介し、
良い仕事を探していくこともできる。
制作会社が上のような状態だから、フリーの原画マンはいつでも貴重な戦力だ。


新劇場版エヴァをつくっているスタジオカラー。あれはフリーの原画マンを集めて
臨時につくっているスタジオだ。特に劇場版のようなアニメ作品をつくるとき、
フリーの原画マンのメンツは固定されていくようになる。


動画マン、原画マン、彼らは各々が違う理由で流動的になるから、
動画スタジオは画一的な仕事を行うしかなくなっていく。
業界自体が消耗していく。



――待遇を見直す動きはないのか


賃上げの団体もあるが、それが当初想定されていた機能を果たしていない。
原因はなにか。


まず業界内が閉じこもることで、横の連携がとれていないこと。
動画・原画はたとえば横のブースで作業しているデジタル班の動きを
把握していない。これが規模が大きくなってスタジオ間の話になっても同じだ。
これは工場で、横のセクションの動きを各々は全く把握していないことに類比される。
既にアニメは工業製品だ。


多分これが原因のひとつで、
だから足並みをそろえて賃上げ交渉をしようという動きにはならない。
業界の経済音痴は、こういう足元からきているのかもしれない。


京都アニメーションや富山のある制作スタジオのように、
社内で管理した動画スタジオを持っているようなところ、
社の寮を持っているところは強い。全体のクオリティを把握しながら
作業できるからだ。未来、生き残っていくのはこういうところだろう。



――アニメーターの未来は


漫画家は同人誌で個人的に漫画をつくるが、
アニメーターが「同人アニメ」をつくらないのはどうしてか。


第一に、アニメは一から何もかもをつくりあげていくものだからだ。
もちろん採算的に割に合わないのもそうだけど、業界内で人材が分断されていくことで、
アニメは総合芸術という名の、実質的には「工業製品」という側面を強くしていった。


少ないが、同人アニメについて話そう。
センコロール」の宇木敦哉は出自は四季賞の漫画家で、30分アニメに3年かけた。
もちろんこれはスポンサーがついての話だ。
また、「ほしのこえ」の新海誠はもとはムービー屋で、
脱サラしてからの八ヶ月を費やして処女作をつくった。
アニメの個人制作とは、はっきり言ってギャンブルそのものになっている。
また彼らが本職のアニメ制作者ではなかったことが
逆にアニメの限界を示しているとも言えるだろう。


つまり各々は、同人アニメをつくるとき、手塚(治虫)さんに戻らなければならない。
いや、もっと状況はシビアといえる。
デジタルが進んだとは言えど、動画原画着彩デジタル編集CG音楽、
これら全てについてプロレベルになければ、商業ラインに乗る作品はつくれない。


視聴者は目が肥えてきて、少しでもデッサンが崩れれば「作画崩壊」と言って叩く。
制作側、視聴者側、各々が、アニメーターひいてはアニメの未来を少しずつ閉ざしていく。


業界全体が変わらなければ、としか今は言えない。




――業界の窮状をつくった大きな原因は


……儲けることのできる構造をつくることを怠ったことだ。
まずさっき言ったように、アニメはテレビ局にとっても良いコンテンツではない。
良いコンテンツとは言うまでもなく「稼ぐ」コンテンツのことだ。
テレビ局が稼げないのに、作り手が稼げるという道理はない。


エヴァのブーム、このときに業界全体に金が流れた。
しかしそこでアニメ業界側は、自分に金を流しこめるような仕組みづくりを
することを怠ったため、ブームが去った今、
結果的に業界自体が自転車操業を行うことになってしまった。
バンダイナムコと強力な関係を維持し続けた、
つまりスポンサーに最も忠実だったサンライズ
最も安定しているということはその証拠だ。




――テレビ以外の放映メディアの未来については


ウェブ放映のことを言っているのだとしたら、これも現状は厳しい。
なぜなら今、ネットを流れる資金の流れを可視化して
説明できるような技術的なシステムがないからだ。


アマゾンのロングテール現象、グーグルのアフィリエイト
巨額の資金を生み出すところの小さな金の流れ、これらが
どのように動き、どのように仕掛ければどのように金が動き、どのように儲けられるか。
これらに関してのデータは蓄積されていない。


ネットでの放映に本格的に乗り出した会社はいない。
彼らは、資金提供者を見つけられないのだ。
「見える金」と「見えない金」の違いはそこになる。
データなしには、スポンサーを説得できない。


楽観的なことを言えば、
ネットへのプラットフォームを用意するような団体、会社が、
ネットアニメは儲かるという実績を残せば、
そこには見える金が流れ込むだろう。


そこをクリアしたとしても、違法配信の問題は残っている。これに関しては多くを述べないが、
対策としては、まず最初に著作権者がある程度高ビットレート
(アナログ放映より少し悪いくらいで)配信してしまうのはどうか。
変換の難しい形式にして配信することで、他のサーバーへのコンテンツ流入を防ぎ、
CMはテロップに埋め込む、というように。


つまるところ視聴者は、「ラクに観られる」環境を求めてネット視聴を選んでいるわけであり、
つまり一週間に一回、決まった時間にテレビの前に座ることを嫌っている。
テレビが金を集められないようになってきたのもそれが原因のひとつだ。
それさえ理解していないテレビ屋も多いが。
ただ、そこには次へのヒントがあるかもしれない。



――キディグレイド、グレンラガン空の境界といった、劇場公開のアニメについては


この劇場版というのは、
一時期AT−Xのような課金CSチャンネルでのみ放映されていたアニメが、
すぐにネットに流れてしまった反省からの苦肉の策であると解釈している。
配給会社のやりようによっては奏功することもあろうが、
従来からの欠点を根本的に見直そうというような
動きの一環にはないように感じる。


テレビに依存し続けてきたアニメは今、一種の飽和状態だ。
ただ、アニメというメディアが、テレビ局や制作スタジオなどの、
アニメに関わる人間全てにツケを払い続けることを要求し続ける
という状況は、誰にとっても本意ではないことは確かだ。


――今日はありがとうございました。